歴史の教科書の明治維新のあたりに必ず掲載されている錦絵「官営富岡製糸工場」。
高い煙突のある巨大な工場と錦絵という表現法。 いかにも維新の息吹を感じます。 その富岡製糸工場が創建時そのままの姿で健在であるということを最近まで知りませんでした。しかも20年前まで操業していたのです。 明治維新まもなく、製糸工場建設について、土地の選定から始まり創業までにいたるすべてを託されたのはポール・ブリューナというフランス人。 生糸の検査人として横浜に滞在中の弱冠29歳の青年でした。 有能な若者だったのでしょうが、すべてを任せるなんてなんて度胸があるんでしょう。明治開明期はそんな時代だったんでしょうね。 当時日本には煉瓦はありませんでした。 ポール・ブリューナは煉瓦を焼く技術を学ぶためにいったんフランスに帰り、その技術でこの広大な工場建設に使う100万個あまりの煉瓦を焼き上げたのでした。 セメントなどない時代、煉瓦を積み上げるのには漆喰が使われました。 扉のちょうつがいはブリューナがフランスから持ってきたもの。 正面ホールには太い木の柱がしっかり煉瓦つくりの建物を支えているのが見られますが、これは妙義山のご神木を住民を説得して切り出したものとか。 まるでお城のように巨大な建物。 工女たちの宿舎まで備えた大きなプロジェクト。 当時のヨーロッパの産業形態をそのまま持ち込んだものなのでしょう。 建物の細部には、日本の意匠も取り入れられています。 実際に建物を作った日本の匠たちの意地でしょうか。 構想が実現したのは3年後の明治5年。 明治維新間もない頃によくぞこれだけ巨大な工場を完成させたものです。 入り口に掲げられた標識が誇らしげです。 フランスから技術を伝授する女性たちもやってきました。 工場で働く工女たちは各地からやってきた名主や士族の娘たち。 女工「哀史」というイメージが先行したのですが、実際には中流以上の娘たちだったようです。 そして彼女たちが、この工場でヨーロッパの新しい技術を学び、日本各地に伝えていったということです。 もっとも、ヨーロッパ人たちが生娘の生血を吸うという噂が流れて工女が集まらず、工場長の娘が率先して工女になってキャンペーンしたとのこと。 (操業は停止されましたが工場の中にある機械は現在でも使用可能。) これが工場内にあるブリューナの住居。 計画が始まったときには独身だったブリューナはその後フランスから結婚した妻を呼び寄せ、ここで二人の子どもをもうけたとのこと。 ブリューナは5年間の契約終了後(総理大臣以上の高収入を得ていた)、帰国し、30年後に一度だけ再来日したということでした。 今年この富岡製糸工場は国の重要文化財に指定され、さらに世界遺産に登録を申請中だそうです。 大変に興味深い場所ではあるのですが、世界遺産にまでなるのかどうか・・・・・・。 毎時きっかりにガイドツアーがあります。内部までは入れませんが・・・。 工場の前には商店街が広がっていて独特の雰囲気なのですが、休日だったこともあって、どこも閉店中。やっと見つけたラーメン屋さんのスープの味は、たぶん煮豚の煮汁に醤油で味付けしただけのもの。・・・・期待はしていなかったけれど・・・・・。
by small-small-world
| 2006-07-15 11:12
| ★旅
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