c0039428_21463776.jpg米沢で最後に訪ねたのが原始布・古代織参考館
別冊太陽「日本の自然布」(2004年1月刊)の巻末に紹介されていたの見て、いつか訪れてみたくて今回の旅行を計画したのでした。


原始布・古代織参考館は大きな古民家風建物
古い建物があまり残っていない米沢市内では珍しく立派な民家なのですが、実は25軒の古民家から使える部分をとって、1軒に建てなおした建物だということでした。
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館内には館主の山村幸男氏がひとりでいらっしゃって、色々なお話を聞かせていただきました。
聞かせていただいたお話はまた改めて書いてみるつもりです。
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by small-small-world | 2007-11-25 21:47 |   山形染織探訪2007 | Comments(0)

今回の旅行を企てたのは、実は原始布・古代織参考館に関心があったからでした。

「原始布・古代織」という呼び方は知らなかったのですが、私がそういった植物の繊維で作った古来からの衣服をはじめて見たのはずっと昔のこと。
学生時代に瀬川清子先生の民俗学の講義の最初の日だったと思います。瀬川清子先生といえば柳田国男賞も受賞された民俗学者。当時すでに70代も後半の方でした。日本の民俗学の歴史から見るとまさに瀬川先生ご自身が歴史的証人ともいえる方でしたが、先生ご自身はまったく気取らない農婦のようなイメージの方でした。

瀬川先生が教壇の上に薄汚れた(m(__)m)茶色い繊維製品をうずたかく積み上げられ、これは葛布、これは藤布・・・・と説明された光景を今でも覚えています。当時の私にはまるで麻縄か何かにしか見えませんでしたが、日本ではかつて植物そのもので織った布があったことをその時初めて知ったのです。

講義が始まってまもなく、当時全国の大学で吹き荒れた大学紛争の嵐がのどかな我が母校にも押し寄せて、5月にはいってすべての講義が休講になってしまい、残念ながら瀬川清子先生の講義はほんの数回聴いただけとなってしまったのですが、先生が見せてくださった植物繊維の衣服にたいした敬意も払わなかったことが申し訳なくて、そのことだけが心に残っていました。







古い建物があまり残っていない米沢市内に建つ大きな古民家風建物
実は25軒の古民家から使える部分をとって、1軒に建てなおした建物だということでした。
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by small-small-world | 2007-11-25 00:31 |   山形染織探訪2007 | Comments(0)

二日目は米沢へ

市内地図を見ると見所間の距離がかなりあり、さすがに歩いては廻れそうにありません。
市内を走る循環バスは一時間に一本しかないし・・・・
これは自転車で廻るしかありません。

駅前のレンタカー屋で自転車を借りました。
とりあえず2時間、1台300円なり。ついでにおいしいお蕎麦屋さん情報も手に入れました。

米沢は上杉氏の城下町ですが、大正時代に大火に見舞われたとかで、市内に城下町らしい風情はあまり残っていません。高い建物がないせいか空が広く感じられる街をすいすいと走りぬけ、まずはルネサンス様式が美しい近代洋風建築を見に山形大学工学部へ。
日曜日であいにく内部には入れませんでした。資料館を見るのを楽しみにしていたので、残念でした。
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c0039428_2347940.jpg上杉神社あたりで細かい雨が降り始めましたが、傘がいらないほどの雨だったのでサイクリングを続行しました。
上杉神社宝物殿には上杉謙信、上杉鷹山の遺品が展示され、なかなか見ごたえがありました。

c0039428_2350995.jpg上杉家廟所
中央に祀られているのは上杉謙信。春日山城で死去したあと、遺骸は甲冑をつけて甕棺に埋葬され、上杉氏の改易に従って会津若松、米沢と運ばれたのだそうです。

c0039428_23592745.jpg昼食はレンタカー屋さんで教えていただいた「新富」というお蕎麦屋さんへ。(建物の左脇に止めてあるのが私たちのレンタサイクルです)

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観光客にはわかりづらい場所にありましたが、繁盛していてしかもおいしいお店でした。
天ぷらそばをいただきました。

お勘定を済ますとお店の人が元気よく
「おしょーしな~」
米沢弁でありがとうございますという意味だそうです。
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小雨の中、一日中レンタサイクルで米沢市内を走り回り午後4時過ぎに駅前にもどり、レンタカー屋さんに返車。
2時間のつもりだったのに丸1日借りてしまったので精算しようとしたら、
「雨だったからいいですよ。」    どうもすみません。
市内バスがない米沢市内を廻るにはレンタサイクルが絶対におすすめです!!
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by small-small-world | 2007-11-22 00:13 |   山形染織探訪2007 | Comments(0)

山形を旅したのは先週末の11月10日、11日。
東京方面よりやや冷たいけれど、薄手の上着があれば十分でした。

家々の庭先の樹にはすでに雪囲いがしてありました。
「まだ暖かい10月末から11月初めにはやっとかねば。」とタクシーの
運転手さん。
雪囲いは想像以上にがっちりとしていて、ロケットの弾頭のようでした。
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(米沢上杉邸の庭)

「11月中に2,3度雪が降っては消えて、3度目には根雪になるんです。」
まだまだ暖かかったので、遠い話のようだったのですが
いきなりの寒波
山形県にはもう雪が降っているそうです。

「もうすぐ雪だなあ。嫌だなあ・・・・・。」
地元の人のうんざりしたような声を思い出しています。
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(赤湯温泉の民家)

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by small-small-world | 2007-11-20 22:57 |   山形染織探訪2007 | Comments(0)

c0039428_21463588.jpg乗り降り自由なJR土日切符での旅行。
せっかくなので天童駅で途中下車してみました。

天童というと将棋の駒の名産地というくらいの知識しか持ち合わせないのですが
将棋にはまったく関心がないので、駅ビルのなかにある将棋資料館はパス。

次の列車の時間のことを考えると町中散歩に使える時間は1時間ほど。
駅前にあった地図を見て、駅から1キロほどのところにある「天童市旧東村山郡役所資料館」まで行ってみることにしました。

小雨が降っているせいか大きな蔵のある家が並んでいる通りを歩いている人はほとんどいません。

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例によっていきあたりばったりで訪ねた天童市旧東村山郡役所資料館はなかなか興味深い近代洋風建築でした。

明治11年に建設され、県下の洋風建築ではもっとも古いものだそうです。
小高いところにすくっと建つ様は天守閣を思わせます。
昨年訪れた山形市の済生会病院(現山形県資料館)も明治11年建築だそうですから同じ時期のもの。
何を手本に建設したのか、明治初期の洋風建築には地元の匠たちの想像力を感じます。

c0039428_21474666.jpgステンドグラス入りの窓は当時としてはかなりハイカラなものだったことでしょう。これとそっくりのステンドグラスは済生会病院(現山形県資料館)にもありました。

幕末の天童藩は石高2万石。藩主は織田信長の子孫織田信敏。写真が展示されていましたが、フィギュアスケートの織田信成君とどこか面立ちが似ていました。
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by small-small-world | 2007-11-16 22:05 |   山形染織探訪2007 | Comments(0)

慈恩寺から河北町まではタクシーで10分ほど
さくらんぼの産地として有名なこのあたり
さくらんぼ畑(?)があちこちにあります。

c0039428_23175431.jpg河北町は古くから紅花の産地として有名なところ
紅花は赤色を染める染料(写真はドライフラワーの紅花。実際は夏の花)
江戸時代には、紅花は最上川を下り、日本海側の酒田から船で京都へ運ばれました。

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紅花を商った河北町の名主堀米家は朱印状をいただくほどの豪商
その屋敷跡が現在では紅花資料館になっています。
この紅花資料館も訪ねてみたかったところのひとつでした。

堀米家は幕末には農兵隊を組織するなどの力があったということです。母屋はすでに残っていませんが、3000坪ほどの屋敷内には蔵や長屋門や庭園があり、往時をしのばせます。

c0039428_23162832.jpg紅花染めに関心があったのですが、実際の紅花染めの工程を知ったのは今回が初めてでした。
紅花は蒸して団子状の塊にしたのを干して、籠に積め、馬の鞍の両側に積んで最上川の船着場まで運んだそうです。

紅花は大変に高価なもので、資料館に展示してあった当時の借用証文によれば、30両借用するための借金のかたが64袋の紅花だったということでした。現在の価値に換算するとどれぐらいになるのでしょう。

今から38年前東大紛争時に東大文学部長をされていた故堀米庸三氏は、この堀米家の三男坊でいらしたとか。
今夏、氏の「中世の光と影」(講談社学芸文庫)を読んだのですが、歴史の流れの躍動的な描かれた方と同時に氏が大変ロマンティックに歴史を感じとられていたことが印象的でした。とくに氏が「カノッサの屈辱」で知られるカノッサを訪れたときの静かな感慨を読んで、遅ればせながら堀米氏の歴史の本のファンになってしまいました。

c0039428_23183549.jpgところで河北町の名物はスリッパ。全国のスリッパの25%を生産し、スリッパ卓球なるものまであるそうです。資料館のスリッパもなかなか綺麗な紅色でした。

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by small-small-world | 2007-11-14 23:27 |   山形染織探訪2007 | Comments(0)

晩秋の山形へ一泊の旅に出かけました。

そもそもは自然繊維への関心から米沢の原始布・古代織参考館を訪れたかったのですが、そのついでに米沢近辺の関心のある場所をいくつかまわってみようという旅です。(今回はJR東日本の土日切符を使いました)

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まずは本山慈恩寺

数年前放映されたテレビ番組「百寺巡礼」で五木寛之がを案内しているのをたまたま見たのですが、辺鄙なところにある古刹で、しかも素晴らしい仏像をたくさん擁していることに驚いて、いつか行きたいと思っていたのですが、それが今回実現しました。

早朝7時に東京を出て、左沢(あてらざわ)線寒河江駅に着いたのが11時過ぎ。
山際にある慈恩寺まではタクシーで15分ほど。
「一日に2回ぐらいは慈恩寺までお客さんを乗せますよ」と運転手さん。

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観光客がほとんどいない境内。重要文化財の本堂をはじめといた建物群は枯れたたたずまいです。
                      (写真:向こう側が本堂、手前が薬師堂)

8世紀半ば聖武天皇の勅命でインド僧の婆羅門僧正によって創建され慈恩寺
平安時代には摂関家の藤原氏の荘園だったということで、都との強いつながりがあったのでしょう。平安時代から鎌倉時代後期までの優れた仏像がたくさん残されているのは、この山里にあるのにまるで奇跡のようです。


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お坊さんが訪れる参拝客の求めに応じ、そのたびに薬師堂の扉を開けてくださいます。
小さなお堂ですが、重要文化財の薬師三尊像が納められています。中央の薬師如来は鎌倉末期に京都から運ばれてきたもの。両脇の日光・月光菩薩は地元の仏師によるもの。おっとりとしたのどかなお顔立ちです。

この薬師三尊像の背後に廻るとこれもまた重要文化財の十二神将がずらりと並んでいます。彩色もよく残った鎌倉時代らしい力強い仏像です。

(それにしてもなんとさりげなく間近に拝観させていただけることか。)


室町時代からの絵馬も残っています。南蛮人の服装の男に引かれた馬の絵も興味深い。

はるかみちのくにありながら、広くからの信仰を集めていたということは興味深いことでした。


さて、次は
タクシーに乗り河北町へ
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by small-small-world | 2007-11-12 00:23 |   山形染織探訪2007 | Comments(0)