カテゴリ:クロアチアの旅2017( 19 )

旅の終着地クロアチアの首都ザグレブに到着しました。

ザグレブは11世紀末に丘の上に建設された司教座を中心とした聖職者の町カブトルと13世紀に商工業の街として発展したグラデツが合併した街。
c0039428_14470110.jpg

明るく開けたカブトルの丘の上に立つ聖母被昇天教会
青空に塔がひときわ高く見えます。

c0039428_14461147.jpg

聖堂内の壁面全体に書かれた見たことのない文字
グラゴール文字というのだそうです。

c0039428_14460124.jpg

c0039428_14455200.jpg

かつてスラブ民族は文字を持っていませんでした。
キリスト教布教のためギリシャの聖職者であるキュリロスとメトディウスという兄弟が作ったのがグラゴール文字。
その後グラゴール文字に代わりキリル文字が使用されることになったのですが、クロアチアでは近代にいたるまで使用されたということです。

カブトルからだらだら坂を下りると雰囲気が変わります。
かつてはカブトルとグラデツを隔てる川だった通り、皮なめしの職人の水車や娼婦宿が並んでいたそうです。

c0039428_14465770.jpg


かつてグラデツは城壁に囲まれていたそうですが、その名残の石の門
18世紀の火事の時にも無事だったマリア像が祭られています。

c0039428_14454493.jpg

坂を上ると聖マルコ教会
かわいらしいモザイクの屋根が印象的です。

c0039428_14464418.jpg

急な坂道を降りると街の中心にあるイェラチッチ広場
中央には民族独立の英雄イェラチッチ将軍の銅像
社会主義時代には撤去されていたそうですが、1991年に元の場所に戻されました。

c0039428_14462286.jpg

広場で開かれているマーケットで残りのクロアチア通貨クーナ(17クーナ)を使ってハーブティーを買っていると
ドラムの音が聞こえてきました。

黒と赤の中世風衣装をつけた男たちが整然と並んで聖母被昇天教会方面から広場を抜けて歩いていきます。
4月から9月の週末だけ行われている衛兵の行進でした。

c0039428_14461757.jpg
さて、クロアチアでの日程はすべて終了
郊外の競技場地区にあるホテルに宿泊(ヨーロッパ柔道選手権の選手たちと同宿でした。)

翌朝国境を越え、オーストリアのグラーツを発ち、ミュンヘン経由で帰国の途につきました。






[PR]
by small-small-world | 2017-08-31 14:54 | クロアチアの旅2017 | Comments(0)

太古には海底にあり、隆起して現在の地形になったというクロアチア
ディナルアルプスの一帯には石灰岩のカルスト地形が点在しています。
世界遺産になっているプリトビィツエ湖畔国立公園もその一つです。

内戦時にはセルビア側に占拠され、一時は危機遺産になったということですが、今では地雷なども撤去され元の姿を取り戻しています。

標高差約100メートルの緩やかな斜面を山間部からの水流が流れ落ち、その途中に石灰質堆積物(石灰華)が自然のダム作り上げています。

c0039428_13501034.jpg
緑豊かな遊歩道を歩いていくと、大小いくつもの滝が現れます。
プリトビィツエでは、下から歩くのがお勧めです。

c0039428_13501887.jpg


c0039428_13502298.jpg

c0039428_13502536.jpg

下の湖沼群から上の湖沼群へは船で湖を渡ります。





c0039428_13503303.jpg


c0039428_13504588.jpg

c0039428_13505849.jpg

c0039428_13510970.jpg

道すがらには可愛い花が咲いていました。


c0039428_14061536.jpg

c0039428_14060066.jpg

c0039428_14073559.jpg

c0039428_14072456.jpg

c0039428_14075773.jpg

c0039428_14074590.jpg

楽しくてあっという間の散歩でしたが、10キロほど歩いていました。

c0039428_13510438.jpg




[PR]
by small-small-world | 2017-08-29 14:13 | クロアチアの旅2017 | Comments(0)

ボスニアヘルツェゴビナのモスタルからまた国境を通りクロアチアへ。
今回の旅行では何度も国境を越えましたが、国境を越えるには早くても40分、長くかかるときには1時間半くらいかかりました。

検問にはいろいろなやり方がありました。
バスから下車し、検問所で一人ずつパスポートチェックを受ける。
係官がバスに乗り込んできて、一人ずつパスポートを提示する。
添乗員がパスポートを集め、運転手と一緒に検問所に行き、チェックを受ける。
運転手が検問に来た係官に「日本人だよ」と言ったら、即OKということもありました。

時々トイレ休憩のために停車するドライブインで運転手が2,3本の飲み物を購入するのを見かけました。
後で気づいたのですが、検問の時運転手は検問所の係官にそっと飲み物を渡していました。

バルカン半島を抜けて移動する難民対策なのでしょうか。
もとはユーゴスラヴィアという一つの国家だったのに、複雑なことです。

c0039428_11112137.jpg
                   (写真は観光客でにぎわうモスタル旧市街)

ボスニアヘルツェゴビナからクロアチアへ入るあたりだったでしょうか。
ひときわ新しい家々が並ぶ地域がありました。
ドイツあたりに出稼ぎに行った人たちが建てた家々だということでした。

ムスリム人、クロアチア人中心の政府とセルビア人主体の政府が並立する複雑な政治形態。
内戦で傷んだ国土。
国際援助なくしては成り立たない国民生活。
ほんの数時間のボスニアヘルツェゴビナ滞在でしたが、考えさせられました。






[PR]
by small-small-world | 2017-08-29 11:13 | クロアチアの旅2017 | Comments(0)

アドリア海沿いに南下してきた今回のバス旅もいよいよ折り返し。
北上してボスニアヘルツェゴビナのモスタルに向かいました。

ドブロブニクからは国境を越えて約3時間
クロアチアとはどことなく雰囲気が違います。

長くオスマントルコの支配下にあったモスタルは
バルカン半島内の交通の要衝でした。

ネレトヴァ川の西岸にクロアチア人、東岸にムスリム人が住み分けてきたのですが
20数年前の内戦時には川を挟んで両者が戦いあいました。

バスを降りると、アパートの壁に無数の銃弾の痕。
川沿いの教会も破壊され、再建したもの・・・
c0039428_15181913.jpg

戦いあった日はほんの最近のことだったと
心が引き締まる思いでした。

ネレトヴァ川にかかる高さ20メートルのアーチ型の橋スターリ・モスト。
内戦時にはクロアチア人によって破壊されてしまいましたが、
内戦終了後ユネスコや各国の援助で復元されたそうです。

c0039428_15145665.jpg

橋のたもとにはDon't forget 1993 の碑

c0039428_15144771.jpg

橋の東側はモスリム人の居住する地区
石畳の道の両側に土産物屋が並んでいます。

c0039428_15142282.jpg


c0039428_15143927.jpg

トルコには行ったことがありませんが、
トルコのような雰囲気だそうです。

1900年頃の写真を見るとトルコ帽にゆったりしたパンツの人々が行きかっていました。

モスタルは銅細工が盛んだそうで、店々から銅板を打ち出す槌音が聞こえていました。

坂を上り切ったところにはイスラム教のモスク
このモスクも内戦後再建されたものとか。

c0039428_15142956.jpg


内戦で破壊されたままの建物の残る町をバスで移動し昼食のレストランへ

この地方の料理というチェバブチッチをいただきました。
皮なしのソーセージのようなものでした。

c0039428_15131085.jpg


[PR]
by small-small-world | 2017-08-27 15:21 | クロアチアの旅2017 | Comments(0)

クロアチアの南、モンテネグロのコトルまでは国境を越え、バスで3時間弱。
コトルは深く入り組んだ入り江の最奥にある世界遺産の街

c0039428_22313436.jpg


c0039428_22311589.jpg

深く切れ込んだ入り江はまるで湖のよう。
対岸の山を眺めながらかなり走り、やっと到着

バルカン半島の西岸に位置するコトルは歴史の波に洗われてきた町
ヴェネチアに支配されてきた時代が長く、城門にはヴェネチアのライオンの紋章が。

c0039428_22425472.jpg

城門を入るとこじんまりとしたでも華やかな時代を彷彿とさせる街並みです。

c0039428_22303217.jpg

12世紀に建造された聖トリブン教会
小さな町コトルにふさわしいサイズ。

c0039428_22301928.jpg

背後の山には4.5キロにおよぶ城壁が連なっています。
ストンといいコトルといい街をオスマントルコから守る城壁が必須だったのですね。

c0039428_22304948.jpg

城壁の途中に立つ教会までは10分ほどで登れたのだそうですが
ガイドがそのことに触れなかったので登りませんでした。
コトルの街並みや湾を見下ろすことができたのに残念でした。

滞在時間が1時間ほどあったので、湾で養殖されているムール貝をいただきました。
山盛りのムール貝とワインで10ユーロでした。

c0039428_22310567.jpg

モンテネグロは独立後通貨を持たず、ドイツマルクを使用していたそうですが
ドイツがユーロを使い始めた後、モンテネグロもユーロを使用することになったそうです。

売店で「クロアチアのクーナで支払ってもいいですか」と聞いたら
露骨に嫌な顔をされました。
内戦は終わったけれど、感情的なしこりはなかなか癒えるものではありませんね。




[PR]
by small-small-world | 2017-08-26 22:44 | クロアチアの旅2017 | Comments(0)

ドブロブニク2日目は城壁歩き
プロチェ門近くから城壁に上がります。

かつては歩哨が歩いて警備した城壁の通路ですが、
幅もあって歩きやすいです。

山側の城壁からアドリア海をバックにドブロブニクの町の連なる家並が見渡せます。

c0039428_14591302.jpg

オレンジ色の瓦とアドリア海の青のコントラストがきれいです。

おや、目の前をドローンが飛んでいます。
さぞ、いい写真が撮れたことでしょう。

学校でしょうか。
屋上にバスケットボールのコートがあります。

c0039428_14593821.jpg

城壁の真下にB&Bがあります。
こんなところに泊まるのもいいですね。

c0039428_15000519.jpg

海沿いの城壁から
島には砦があります。
まさに鉄壁の守りです。

c0039428_14595275.jpg

覗き込むと海中を泳ぐ魚が見えます。
なんて澄んだ水なんでしょう。

城壁から降りる途中にパラソルをたてて
刺繍の布を売っているのを見つけました。

ドブロブニクの民族衣装の袖や胸元にあしらう刺繍だそうです。

いろいろな色合いのものがありましたが、伝統的色合いのものと爽やかな色合いのを購入しました。

もう一つはMljet island の伝統的民族衣装のデザインを刺繍したラヴェンダーのサッシェ
かわいらしい柄です。

ドブロブニクでは野菜があまり採れないので、Mljet islandから野菜を売りに来ていたということでした。

Mljet islandってどんな島かとネットで検索してみたら、ストンの沖合に浮かぶ島
今ではリゾートにもなっている美しい島でした。

今どきの若者たちは伝統的刺繍をする人は少ないそうですが、
60歳代の女性をリーダーに刺繍を守るグループを作っているのだそうです。

ドブロブニクの街の中でひっそり刺繍をしている女性を見かけました。
こうして一針ずつ刺したんですね。
c0039428_14392961.jpg

帰国してから額装して壁に飾りました。

c0039428_14343715.jpg



[PR]
by small-small-world | 2017-08-24 20:34 | クロアチアの旅2017 | Comments(0)

午後からはロープウェーでスルジ山へ

観光案内の写真で見慣れたドブロブニクの景色
ほんとうに美しいです。

c0039428_11503792.jpg


ガイドと一緒に山を歩いて下ることもできたのですが、
私は山上のカフェでのんびりと景色を楽しみました。
風が強くて大変でしたが。

ホテルは旧市街から少し離れ
大きなリゾートホテルが並び、スーパーやカフェが並んでいるラパッド地区。

アドリア海に面したテラスからは夕焼けがきれいでした。



c0039428_11503707.jpg





[PR]
by small-small-world | 2017-08-24 13:18 | クロアチアの旅2017 | Comments(0)

「アドリア海の真珠」と呼ばれ、堅牢な城壁に囲まれた町ドブロブニク

ドブロブニクの守護聖人聖ブラボの像が見下ろすピレ門
入場する前からかなりの人出です。
c0039428_10484249.jpg

c0039428_10480872.jpg

城門を通り抜けるとかなりの幅のあるプラツア通り。

c0039428_10453560.jpg

1991年ユーゴスラビア内戦の時にはセルビア・モンテネグロ軍に包囲され
世界遺産にもなっているこの美しい町が爆撃にさらされました。

c0039428_11005588.jpg

地図上の赤いマークは焼失した建物
▲は屋根を爆撃された建物
●は爆撃された道路

レストランになっている建物の前にあった写真
内戦時には炎上したとのこと

c0039428_10431271.jpg

破壊された町は今ではすっかり修復されています。
明るい日差しの中観光客が行きかい華やかな雰囲気です。
c0039428_11011941.jpg

オノフリオの噴水からは今でも清水が湧き出ているそうです。

c0039428_10461287.jpg
ピレ門の脇にあるフランシスコ会修道院内にはヨーロッパで3番目に古いという薬局があります。
天然のハーブを使った化粧品があるということでしたが、アジア系の先客が売り場から離れてくれないので
あきらめました。

c0039428_10411727.jpg

城内にはたくさんの教会があるのですが、ツアーですので入ったのは聖母被昇天教会のみ
英国のリチャード王が創建したという教会でした。

c0039428_10424682.jpg

華やかなプラツア通りから脇道に入ると細い路地です。

c0039428_10403263.jpg



山側の路地は細い階段です。

c0039428_10413221.jpg

ラグーサ共和国時代貿易の拠点だった港
たくさんの船が並び、往時をしのばせます。

c0039428_10442000.jpg


ツアーのお仲間が湾内クルーズに出かけた合間に私たちはレストランで生牡蠣をいただきました。
c0039428_10440185.jpg

[PR]
by small-small-world | 2017-08-24 11:07 | クロアチアの旅2017 | Comments(0)

スプリットからドブロブニクまではまたバスの長旅です。
真っ青なアドリア海には牡蠣養殖の筏が浮かんでいます。

c0039428_22470318.jpg

昼食のために立ち寄ったのはストンという小さな町

町の入り口に立つと急な斜面にどこまでも続く城壁。

c0039428_22472711.jpg


c0039428_22504288.jpg
ストンは14世紀あたりから塩田で塩を生産してきた場所
かつて塩は大変高価だったので、塩田をオスマントルコから守るために長い城壁を作ったのだそうです。
まるで恐竜の背中のようです。

ストンはこじんまりした小さな町
観光客も少なく、のんびりした時間が流れています。

c0039428_22465153.jpg

広い塩田は今でも生産を続けているそうです。

c0039428_22463790.jpg

入り口で塩を売っていました。
1袋 1ユーロでした。

c0039428_22464209.jpg

昼食の前菜は生牡蠣(食べかけの写真です)

c0039428_22463186.jpg

それにイカのソテー

c0039428_22462463.jpg
ツアーの行き先には入っていない町でしたが、のんびりした感じをとても気に入りました。






[PR]
by small-small-world | 2017-08-21 22:52 | クロアチアの旅2017 | Comments(0)

スプリットに向かう道路の海沿いでは石で作られた塔が所々でみかけます。
オスマントルコの襲撃を見張るための塔だそうです。

道路わきには鮮やかな黄色のエニシダが咲いています。
エニシダの学名はSpartiumというそうですが、エニシダがたくさん咲いているので
大昔のギリシャ人たちはこの地をスプリットと名付けたのだそうです。

ローマ皇帝ディオクレティアヌスが自分の隠居場所として
故郷に近いこの地に295年から305年までかけて築いたのが現在のスプリットの始まりです。

一辺が200メートル近い城壁に囲まれた巨大な城
隠居所というより砦のようです。(写真は案内の看板です)

c0039428_10460554.jpg
この砦のような宮殿は海に面していたそうですが、今では埋め立てられています。

c0039428_10455945.jpg
郊外の丘から水道橋を建造し、水を引き込んでいたそうですが
その水道橋は今でも使われているということでした。

c0039428_10454867.jpg

中央部にあるディオクレティアヌスの霊廟は後世教会に作り替えられています。
栄枯盛衰を感じます。


c0039428_10453522.jpg


c0039428_10452001.jpg

かつてのホールの廃墟ではコーラスグループがクロアチアの音楽を歌ってくれました。

c0039428_10452456.jpg

巨大な宮殿はその後一般人が住みつき巨大な町になってしまいました。

宮殿の地下はそれまで食物の貯蔵に使用されていたらしいのですが、
その後1000年以上にわたり住民たちの巨大なゴミ捨て場になってしまいました。

c0039428_10450050.jpg

長い年月の間にゴミは炭化してしまったのですが、
逆に地下室の構造は今でもかつてのままに残っています。

c0039428_10454067.jpg

城壁の内部には後世入り組んだ路地ができ、建物がぎっしりと建ってしまいました。
ほんとうに入り組んでいるので、私たちは迷子になってしまったほどです。

c0039428_10450973.jpg


c0039428_10444694.jpg

城壁の裏門をでたところには10世紀の司祭グルゴール・ニンスキの巨大な銅像が立っています。
ラテン語のミサが中心だった時代に一般人にもわかるようにクロアチア語でのミサを行った人だそうです。

c0039428_10445344.jpg


[PR]
by small-small-world | 2017-08-21 10:53 | クロアチアの旅2017 | Comments(0)