朝のチェスキークルムロフの広場
観光用の気球が上がっています。

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朝早く空いているうちにとチェスキークルムロフ城に行ってみると
なんと月曜日はお休み。
フルボカー城は月曜日お休みとわかっていたのですが、
チェスキークルムロフ城が月曜日休みとは。ガイドブックの記載を見落としました。

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城内には入れませんでしたが、塔と博物館には入れました。
塔の上からは街や遠くの丘が見渡せました。

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博物館ではチェスキークルムロフを治めた代々の領主の肖像やエピソードをゆっくり読みながら見学しました。

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有力な貴族らしく、専属の楽隊があったらしく管楽器や太鼓などの展示もありました。

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最後の領主夫妻。チェコから脱出後 領主は1950年、妻は1979年に亡くなられたということです。

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観光写真では遠景しか見ることのなかった塔
ピンク色に塗られていたとは知りませんでした。

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宮殿の壁や軒下
石を積んだように見えるのは絵。

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彫像が飾ってあるかと思えば、これも絵。

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16世紀頃のボヘミア地方で流行したスグラフィト技法=だまし絵だそうです。

川岸まで下りて、昼食にしました。
塔で一緒だった韓国からの女性にここで再会しました。
私はパスタ。
つれあいは豚膝肉のロースト。
固くて、完食は無理だったようです。

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川では高校生のサマーキャンプでしょうか、カヌーの一団が早瀬を渡っていきました。

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クラフト市が開かれていましたので、地元の家庭で織られた麻布を購入しました。

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街中で出会ったのは郵便配達の女性
小さい街なので歩いて配達するほうが便利ですね。
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お天気もいいし、気持ちのよい一日でした!

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# by small-small-world | 2018-08-18 15:10 | チェコ&ドレスデン 2018 | Comments(0)

フルボカー城からチェスケー・ブディエヨヴィツエまで戻り、
バスステーションのあるショッピングモールで小休止。
(カフェの物価の安さにびっくり)

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そこからチェスキークルムロフまでは30分バスで30分ほど。

バス停から少し上ると観光写真でおなじみのチェスキークルムロフの街が見えてきました。

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チェスキークルムロフは蛇行するヴルタヴァ川に囲まれた巾着のような土地1253年頃に開かれた町
1302年からロゼンベルグ家がこの街を支配するようになり、川岸の丘に城を築き、街を発展させました。
領主はロゼンブルグ家、エッゲンブルグ家と引き継がれ、1719年からはドイツ南部の有力貴族シュヴァルツエンベルグ家がこの一帯を支配することになりました。
その間城はゴシック様式からルネサンス様式へさらにはバロック様式へと改装されていきました。

領主のシュヴァルツエンベルグ家はフルボカー城に居住していたのですが、街は城下町として栄えました。
1910年当時の住人の85%はドイツ系。チェコ人は隷属的立場に置かれていました。

1939年シュヴァルツエンベルグ家が国外に逃れ、第二次大戦後ドイツ系住民が国外に追放処分を受けた後、チェスキークルムロフは荒廃し、街はロマ人たちが住みつくようになりました。

ビロード革命後、1992年街は世界遺産に認定され、街は修復され、ホテルや土産物店が立ち並ぶ観光都市になっていったということでした。
1970年当時チェスキークルムロフを観光で訪れるという話を聞かなかったのはそういうわけだったのですね。

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夕方散歩にでました。

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夕食は ホテルの隣にあるクルチュマ・フ・シャトラフスケーというレストランで。
居酒屋風の店内にレンガ作りの炉があり、マスターが汗を拭きながら、肉をグリルしてくれるという野趣あふれる店でした。
おもしろいお店でしたが、狭い店内は客は賑やかな中国人客が多く、そこはやや興ざめでした。

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# by small-small-world | 2018-08-16 21:53 | チェコ&ドレスデン 2018 | Comments(0)

さてチェコ3日目
南西部のチェスキー・クルムロフ方面に1泊ででかけます。

出発前に予約したチェスキー・クルムロフ行きのStudent Agencyのバスは満員でした。

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チェスケー・ブディエヨヴィツエで途中下車し、フルボカー城方面行のバスに乗り換えて、約30分。
緑豊かな小集落で下車。

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急な坂道を上っていくと丘の上にお城が見えてきます。
その昔は馬車でのぼった道でしょうか。

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丘の上には広々した庭園
そしてよく手入れされた白亜のお城

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ガイドツアーに参加しないと内部を見学できないので、1時間ほどのんびりと時間をつぶしました。

城を所有し、第二次世界大戦までこの城に居住したのはチェコの有力な貴族シュヴァルツエンベルグ家
チェスキークルムロフもシュヴァルツエンベルグ家の領地ですが、
同家はフルボカー城をネオゴシック様式に改装し、この城に居住したそうです。
森に囲まれたこの地が気に入ったのでしょうか。

城の内部は撮影禁止でしたが、それはもちろん美しいものでした。

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シュヴァルツエンベルグ家は1939年ドイツのチェコスロバキア併合に反対し、国外に脱出しました。
大戦後シュヴァルツェンベルク家は所領の返還を求めましたが、
1947年チェコ政府はにシュヴァルツェンベルク家の所領を没収する法律を制定し、
シュヴァルツェンベルク家は所領のすべてを失ってしましました。
シュヴァルツェンベルク家が去った後、城は国家の管理下に置かれたそうです。

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城内の図書室には重厚な古典類に混じって、アガサクリスティーの小説もあるとガイド氏。
城内では脱出まで普通の生活が送られてきたのだと実感しました。






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# by small-small-world | 2018-08-12 16:04 | チェコ&ドレスデン 2018 | Comments(0)

プラハ滞在中に**才の誕生日を迎えました。

NHKの「二度目のプラハ」という番組で紹介されていた「Next Door」という店に行ってみました。

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ザリガニのスープ
濃厚でおいしかったです

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それぞれこんなものをいただきました。

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付け合わせの白いのクネドリーキ。蒸しパンのようなもの。


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# by small-small-world | 2018-08-11 22:15 | Comments(0)

クトナーホラのセドレツ地区からクトナーホラ旧市街まではバスがあるようなのですが、
頼りないバス停があるだけなので、歩いて向かうことにしました。

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人通りのない道を1時間
チェコの普通の市民の暮らしを感じながら歩いていくと、やがて旧市街にたどり着きました。

街の中心のパラツキー広場
鉱山の街ということで、荒々しい雰囲気かと思っていましたが、明るい色合いの建物が並んでいます。

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一角にあるレストランで食事
暑い中を歩いてきたので、ここでもまずビールです。

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まずイタリアン・コートを訪れました。
観光客など一人もいませんでしたが、ガイドツアーに参加すれば内部を見学できるというので申し込んでみました。

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ガイドは鍵の束を持った青年。
一部屋ずつ鍵を開けては案内してくれました。

イタリアンコートは1300年に創設された王立の造幣局
この建物内で貨幣を鋳造していました。

ガイドの青年が貨幣の鋳造を実演してくれました。

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2階部分は宮殿になっています。
歴代の国王が滞在することがあったそうです。
今では結婚式の会場として使われているそうです。

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最奥には小さいけれどとてもきれいな国王用のチャペルがありました。(写真不可でした)

別れ際にガイドの青年が

「ガイドを聞いてくれてありがとう。ところであなたたちが日本から来たのなら質問があるのだけど・・・
日本の人はどうして大きくて立派なカメラを持っているの?」

質問の意図はわからなかったのですが、大きなカメラをみんなが持っている訳ではないし、
大きなカメラを持っている人はカメラが趣味かプロだと思うと答えました。

中世に銀山として栄えたクトナーホラ
ドイツ系の技術者や鉱夫によって採掘され、坑道は深いところでは地下500メートルもあったそうです。

イタリアンコートの裏手、斜面の葡萄畑の向こうに奇妙な尖塔の大きな聖堂が見えてきました。
1380年に着工された世界遺産の聖バルバラ教会です。
聖バルバラは鉱山の守護神だそうです。

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教会に向かう坂道 景色のよい道です。
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教会は当時の市民たちの募金で建立されたそうで、教会の天井には寄付した市民たちの紋章が描かれています。
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堂内のフレスコ画には採掘作業を描いたものもありました。
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鉱夫の像腰には動物の毛皮細い坑道を滑るように進んでいったのだそうです。
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クトナーホラ ムニュスト駅までひたすら坂をくだって。ピンク色のかわいい駅舎kara4おもちゃのようなかわいい電車でクトナーホラ駅に向かいます。
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# by small-small-world | 2018-08-11 21:40 | チェコ&ドレスデン 2018 | Comments(0)