金沢で最後に歩いたのは、武蔵ケ辻から浅野川へ。そして川を渡ってひがし茶屋街のあたり。

尾張町から浅野川のあたりまでは、明治時代までの金沢のメインストリートだったそうで、現在でも当時の立派な商家の建物が残っています。

こちらはかつて苗字帯刀を許されていたという薬種問屋福久屋。
さすが立派な建物です。
c0039428_17221117.jpg

橋向こうの東廓あたり
文政10年(1820年)に散在していた娼家を集めて作られて遊郭
現在でも当時をしのばせる町並みがそのまま残っています。
c0039428_1719013.jpg

c0039428_17265856.jpg




浅野川橋立あたりには大正時代頃のものでしょうか。
アールヌーボー調の建物も何軒か見かけました。
c0039428_17232118.jpg



東廓の建物の裏手の壁
なが~いスコップがかけられていました。
雪かきににでも使うのでしょうか。
c0039428_17204226.jpg

[PR]
by small-small-world | 2010-07-19 16:48 | 金沢・能登の旅 2010 | Comments(2)

能登半島には奈良・平安時代にさかのぼる製塩の歴史があり、現在でもたった一軒だけ角花家が揚げ浜式塩田を続けていることを「石川県の歴史散歩」(⇒⇒☆☆)で読み、訪ねてみました。

静かな曽々木海岸を北上。
浜辺に草葺の塩焼き小屋がある風景を予想していたのですが、しゃれた道の駅になっていて、小さいながら塩の博物館まで併設していました。(今から思えば、本当の角花家は別にあったのかもしれません。)
          (⇒⇒☆☆

揚げ浜式製塩とは・・・
塩水をくみ上げては塩田に撒き、天日で水分を蒸発させた後、塩を濾過。濃い塩水を大きな鉄釜で18時間じっくり煮詰めて粗塩をとる作業。過酷な重労働です。
加賀藩は藩の財源として塩の専売制をとり、塩の確保のために藩内海浜の村々に製塩をさせたのだそうです。100軒を越す塩田があったそうで、千枚田のある白米地区でも13軒のうち7軒が製塩業に従事していたと千枚田の案内板にありました。
c0039428_1492444.jpg


日曜日なので、製塩作業もお休みでした。
一子相伝の技だそうです。見学できなくて残念でした。
塩焼き小屋には余熱がこもっていました。
c0039428_14111985.jpg


道の駅で、ここで作られた塩を購入しました。
うっすらと褐色がかっています。ミネラルが多いのだそうです。
貴重な塩。味わって使いたいと思います。
c0039428_14144898.jpg



ついでに、こちらは沖縄波照間島の塩。
平釜製法で作られたもの。
ずいぶん前におみやげにいただいたものですが、残り少なくなりました。
c0039428_1415283.jpg

[PR]
by small-small-world | 2010-07-17 14:26 | 金沢・能登の旅 2010 | Comments(0)

今回能登をドライブした理由の一つが千枚田を見ることでした。

学生時代に旅行したときには、能登半島先端の禄剛崎から能登半島北岸を曽々木海岸を目指して歩いて南下しました。
8月も半ば、照りつける日差しの下、木の浦、折戸と小さな集落をたどりながら歩きましたが、暑さで曽々木まではたどり着けず、途中でバスに乗ってしまったのでした。
地図で見ると禄剛崎から曽々木までは20キロぐらい、日陰も人影もない道のりでしたから、途中棄権もやむをえなかったのかもしれません。
バスでたどりついた先で見たのが、千枚田でした。
                  千枚田

そのときどんな角度から見たのかあまり覚えていないのですが、今回立ち寄った千枚田のあたりにはポケットパークができていて、斜め上の角度から斜面全体に切り開かれた千枚田とその先に広がる日本海を眺めることができるようになっていました。
c0039428_1436596.jpg

青々とした稲の緑の田の美しいこと
田は大小含めて2000枚はあるということです。

この風景は長い年月をかけた労力の結晶というべきもの
歴史的には、少なくとも室町時代にもさかのぼるのだそうです。

現在ではボランティアの手を借りて、田植えから稲刈りまでの作業を行っているということでした。
c0039428_14403220.jpg

千枚田の看板にイヌワシが休んでいました。
自然豊かな能登
途中キジもみかけました。

斜面の多い能登なので、棚田は千枚田以外にもあるようです。
↓↓はヤセの断崖近くで通った大笹波の棚田
すでに農地整理が行われていて、整った形状をしていますが、実際の耕作にはこのような形でないと無理ですね。
           大笹波の棚田
c0039428_1453419.jpg

[PR]
by small-small-world | 2010-07-15 14:31 | 金沢・能登の旅 2010 | Comments(2)

総持寺祖院に立ち寄りました。
3年前の能登半島地震で被害を受けた本堂はまだ修復中。
写真ではよく見えませんが、本堂正面大扉がずれ下がっています。
c0039428_22132626.jpg

土塀が崩落していたり、石段が崩れていたり・・・
修復には時間がかかるのでしょう(写真:崩れた土壁)
大きな被害だったのですね。
c0039428_22133610.jpg

能登有料道路の穴水付近のパーキングエリアに展示されていた写真を見ると道路の側面が完全に崩落し、道路がまるでつり橋のようになっていました。

地震当時はTV画面で心配しながら見ていたのですが、時間がたつと記憶が薄れてしまうものですね。
[PR]
by small-small-world | 2010-07-15 14:02 | 金沢・能登の旅 2010 | Comments(0)

2日目は、能登半島をドライブしました。(大人の休日倶楽部パスでは、レンタカーも格安です。)

能登半島へは、学生時代に2回旅行したことがあります。(もちろん鉄道と路線バスを使って)

見附島や恋路海岸など東岸の美しい海岸を眺めながらの鉄道の旅が楽しかったことがなつかしくて、地図を広げてみましたが、JRは七尾まで、その先は穴水まで第三セクターののと鉄道になってしまっています。
その先、もっとも美しい海岸線には、現在ではバス路線があるのみ。

穴水から珠洲市蛸島までは、のと鉄道能登線になったあと2005年に廃線になってしまったのだそうです。
今まで知りませんでした。驚きました。
                
                 のと鉄道能登線

穴水近くの高地に能登空港があります。近くを通りましたが、人里離れた原野の中。どれくらいの稼働率なのでしょうか。

                 能登空港

学生時代は、鉄道とバスを乗り継いでの旅でしたから、のんびり次の便を待っている時間が長かったのですが、ドライブでの旅行は能率的。もっとも私は非能率な旅が好きなのですが。

能登は畿内に近く、また朝鮮半島と日本海を隔てて面しているので、古代史につながる歴史的な遺跡も多く興味を魅かれるのですが、日帰りなので立ち寄ることはできませんでした。

c0039428_13302663.jpg

能登金剛
景勝地ですが、ほとんど人影がなく、遊覧船も退屈そうでした。
写真の奥の岬の向こうは、福浦港
天然の良港で、古代には渤海からの使節がここから出港し、江戸時代には北前船の風待ち港として栄えたそうです。

歴史の古いところだからでしょうか、道筋の民家がどれも2階建て黒がわらの堂々たる構えなのにも感心しました。富の集積のあったところなのでしょう。
c0039428_1331126.jpg

ヤセの断崖
松本清張「ゼロの焦点」の舞台として知られたところです。
能登めぐりの観光バスのポイントのようでした。

c0039428_13312033.jpg
ヤセの断崖から歩いて10分ほどの義経の船泊まり
確かに身を隠すのに絶好の場所です。
[PR]
by small-small-world | 2010-07-14 13:13 | 金沢・能登の旅 2010 | Comments(0)

キッチンつきの宿泊施設に泊まったので、地元食材での調理が楽しみです。

近江町市場には新鮮な魚介や野菜が並び、ながめながら歩いているだけでも楽しめます。
c0039428_1223717.jpg

c0039428_1223195.jpg

初めてみる加賀野菜を買ってみました。
左は金沢太きゅうり。皮をむき、あんかけか酢の物に。
右は金時草。さっと湯に通し和え物か酢の物に。あるいは炒め物に。
キントキソウと読むのだとばかり思っていましたが、地元の方によるとキンジソウというのだそうです。
c0039428_1224724.jpg



時期の岩牡蠣
店の人に殻をこじあけるための穴を開けてもらい、宿に帰ってからぱっくりと殻を開けました。
ふっくら、とろ~り。美味でした。
c0039428_12241862.jpg



さて宿での夕食です。
本格加賀料理とはいきませんでしたが、食いしん坊心大満足の夕食でした。
c0039428_12253382.jpg

左の大皿は鯖の塩焼き。近江町市場で焼いたのを買ってきました。
そのすぐ右は金時草の酢の物
前左はカタナの炒め煮。お惣菜屋さんで。片側にしか葉がないのでカタナというそうです。
右端は加賀太きゅうりの酢の物
右上はジャガイモと磨きニシンの煮物。これも出来合いの惣菜。結構濃い味でした。
[PR]
by small-small-world | 2010-07-10 12:13 | 金沢・能登の旅 2010 | Comments(0)

金沢・能登の旅(1)

3日間乗り放題の大人の休日倶楽部パスを使って金沢へ行ってきました。
特急はくたかの車内にはシニア夫婦が目立ち、金沢駅の改札口を出ると、御陣乗太鼓がにぎやかにお出迎え。ちょっとしたお祭り気分です。
大人の休日倶楽部パスをきっかけに旅行するのは私たちだけではないようです。

金沢&能登を旅するのは学生時代以来です。
あまりに久しぶりなので、初めて行くのと変わりません。
真夏に訪れたので、金沢で思い出されるのは兼六園の茶店でかき氷を食べたことぐらいです。012.gif

c0039428_10525979.jpg
いわゆるガイドブックを見ただけでは金沢の歴史はよくわからないので事前に入手して読んだのはこの本(⇒⇒☆☆

歴史教科書の出版社である山川出版社の本ですから執筆者は地元石川県の高校の先生たち。

執筆のねらいに、「観光名所として周知のものより庶民の暮らしに根をおろして史跡の再評価をすること、見逃されがちな近現代の史跡も取り上げたい、思い切った発想の転換を試みたい云々」とあります。

小型本ではありますが、史跡紹介の形で石川県の歴史を重層的に読むことができます。
執筆者たちの誠意と意気込みを垣間見ることのできる本でした。

この本から一つの視点を与えられたことは事実です。

金沢といえば百万石。
町中いたるところに百万石という言葉があふれています。
本の中に「百万石意識」というコラムがあります。

加賀藩では支配する側の武士でさえ百万石の犠牲者であった。
小藩にあれば一国を動かしたかもしれない人材が、重臣の圧力のもと軽輩としての忍従を強いられている。
(中略)藩閥へのゆがんだ対抗意識が温床になって、今も筋違いの百万石意識が生きている。
城下町の風物に酔うのはただのノスタルジア、そこに』生きる人たちの意識構造をかぎとるのが本当の歴史散歩であろう。


金沢はさすが百万石の城下町
ゆったりと落ち着いた懐の深さを感じさせる雰囲気の街です。
でも、百万石と自負した大藩が、幕末維新期に口惜しさをかみ締めたのではないかと感じる場面が数日の滞在でも見えたような気がします。
観光写真などで有名な長町武家屋敷
c0039428_179373.jpg

用水に沿って野村家住宅、老舗記念館、足軽資料館などが点在し、立派な門が立ち並ぶ一画はなかなか風情があります。

でも、古い建物は他所からの移築。
立派な野村家住宅は北前船で財をなした豪商の屋敷です。
オリジナルは、いくつかの長屋門だけだそうです。
c0039428_1711322.jpg

明治維新後、金沢市内は空き家が目立つようになり、長町あたりの武家屋敷も取り壊され、分割して宅地になったり、田畑になったそうです。

明治7年には長町近辺には5400坪という広大な金沢製糸会社が設立され、士族の子女を女工として操業を始めたそうですが、5年後には廃業したそうです。
維新期の金沢の大変さがしのばれます・
c0039428_17125242.jpg

香林坊のビル16階からの金沢城、兼六園あたり
滞在中ずっと梅雨もようでした。
[PR]
by small-small-world | 2010-07-08 17:14 | 金沢・能登の旅 2010 | Comments(0)