Evergreen Stateの愛称で呼ばれるワシントン州
シアトル市内を抜けると一面の森が広がっています。

シアトルから車で北上。
途中で東に折れ、森林地帯をなだらかに2時間ほど登り、やがて渓流に沿う道を下っていくと、急に平地が開けます。
おや、どこに迷い込んだのでしょう。チロル地方のような建物が立ち並ぶ町が立ち現れます。
Leavenworthという町です。

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               写真はPicasa web に公開されているものを転載


1977年7月5日付けの手紙から
7月2日から4日までは独立記念日の三連休でした。2日はLeavenworthという町へドライブしました。

Leavenworthはカスケード山脈の東側の山腹にある人口1300人ほどの町。山に囲まれ、渓流のほとりにある町はこのあたりでは珍しくはありませんが、この町の特徴は、町中がチロルの町のように作ってあることです。

建物は全部チロルの山小屋のような感じに作られ、看板もドイツ語で書かれています。スーパーマーケットからガソリンスタンドまで山小屋風。お店に入ると売り子は民族衣装。町角では皮の半ズボン、ハイソックスの男の人がアコーディオンを奏でています。お店ではヨーロッパからの輸入品のしゃれた民芸品などを売っています。まるで南ドイツの町に迷い込んだみたいです。
でも通りをぞろぞろ歩いているのはいかにもアメリカ人的な人たち。はるばる山を越え、この谷間の町を訪れた人たちです。

この谷間に最初の開拓者が入ったのは1880年頃のこと。数軒の粗末なマルタ小屋と小さな郵便局のあるささやかな集落にすぎませんでした。

1890年ころ、ここにカスケード山脈を越える鉄道建設の基地ができることになり、大きな製材工場もできて、2階建ての家が立ち並ぶ町ができました。
ところが1920年ごろには鉄道基地は移転、製材工場も営業を停止し、その後町はみるみるうちにすたれてしまいました。

眠ったような町が生き返ったのは1960年頃。町を生き返らせるために町をチロル風に建てて観光事業を起こそうと住民達が話し合ったのです。住民達は、自分達でお金を調達し、独力で町を作り上げたのです。
そして、住民達は町を挙げてドイツの町を演出し、訪れる人たちを精一杯もてなすのです。

それにしても、人々はどうして何時間もドライブして、このチロル風の町にやってくるのでしょうか。
各国から移住してアメリカにやってきたアメリカ人たちは、自分達のルーツに、けっしてもどることのできない郷愁にも似た気持ちを抱いているようです。Leavenworthに多くの人が訪れるのは、アメリカ人である自分達が持っていないふるさとを求める気持ちなのかもしれませんね。


私たちが訪れてから32年がたちました。
「町おこし」に成功した町Leavenworthはどうなっているのでしょう。
町のHPをのぞいてみました。ますます発展しているようでした。
                                   Leavenworth

c0039428_1561349.jpg薄暗い我が家の廊下に長年ぶら下げられたまま忘れ去られているオーストリア製の木製の人形
はるばるLeavenworthまで行った思い出に購入したもの。急にいとおしく感じられ始めました。
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by small-small-world | 2009-05-31 22:04 |    思い出の街角 | Comments(0)

シアトルからの便りを読んでいるうちに色々なことを思い出しています。

c0039428_237812.jpgシアトルは海辺の街
ダウンタウンからフェリーに乗るとPudget Soundという多島海を静かに抜け、
対岸のオリンピック半島や島に渡ることができます。

私たちも週末を利用して何度かフェリーでのショートクルーズを楽しみ、オリンピック半島やPudget Soundに浮かぶ島を訪れたものでした。


c0039428_20361649.jpg春の1日
シアトルから30分ほどのところからフェリーに乗って30分。降りてから浮橋を渡って40分。
オリンピック半島の北東の端にあるPort Townsendという町を訪れたことがありました。

                 Port Townsend


c0039428_22592160.jpgPort Townsendはこのあたりでも早くから開けたところで、1880年頃には人口2万人もある大きな港町として栄えましたが、その後すたれた静かな町です。
栄えた時期に建てられたビクトリア風の家々が立ち並び、かつての栄光をしのばせるように町の規模のわりに大きな郵便局や裁判所があります。

           (写真は2枚ともPort TownsendのHPから転載)

1977年5月3日付けの手紙から

なんと幸運なことにこの日は春秋一回ずつのVictorian Home Tour というイベントの日にあたっていました。

1880年代に建てられたビクトリア風の家の中から10軒が中を公開しているのですが、それぞれが工夫をこらして古い家をきれいにして住んでいて、家具やインテリアや刺繍の額やキッチンなど、とにかく参考になりました。

だいたいの家が建てた人の手を離れて現在の所有者の手に渡っており、中には手が行き届かず、ベッドルームの壁が落ちている家もありましたが、今の所有者が古い家を改装して、きれいに住んでいるわけです。

どこの家も家族が盛装して迎えてくれます。小学生の子どもまでロングドレスを着て、チケットをチェックする役をしていました。

10軒の中で一番立派だったのは、かつてドイツ領事館だった家。塔もある3階建、ベッドルームもいくつもあって、それぞれのベッドには手編みの素晴らしいカバーがかけてあり、刺繍の額があちこちにかけられ、壁紙がまたきれいでした。

それぞれの家の中には大切にしている銀器や絵などが飾りつけてありましたが、中には日本や中国の掛け軸や絵皿、広重の五十三次の浮世絵などもありました。

船長をしていた人の建てた家の中に山水画の掛け軸がかけてあったので立ち止まって見ていると、家の女主人が「ここに何が書いてあるのかわかるか」と絵の上部に書かれている漢詩を指差しました。
ここで慌てては日本の恥とばかり落ち着いて読んでみると、なんのことはない渓流のそばの小さな家で汝と対座して酒を酌み交わす・・・簡単な説明的な詩。」
これはpoemだといって内容を説明したら、とても感謝されてしまいました。この船長さんは19世紀に5年間ほど日本に住んだことがあるそうで、横浜あたりの骨董屋ででも買ったものなのでしょうか。

金色に輝くオリンピック半島の山々を見ながら帰宅しました。(Summer Timeなので日没は8時20分頃です)
思いがけなく素晴らしい一日でした。


アメリカ北西部の小さな町Port Townsend
人々が日々の生活を静かに心豊かに過ごしているのに心打たれたのでした。
あれから32年たちましたが、現在でも当時と変わらない静かな生活が営まれているのではないでしょうか。

後日、有島武郎の「或る女」を読んだら、ヒロイン葉子が船でアメリカへ渡るときPort Townsendを通過したことが書かれていて、なつかしく思ったものです。日本からアメリカに渡るには、Pudget Soundを通過し、Seattleに入港していたのですね。
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by small-small-world | 2009-05-28 23:19 |    思い出の街角 | Comments(0)

松本街歩き

c0039428_213752100.jpg蓼科に向かう前に松本に立ち寄りました。
松本ではやはり古い建物を利用したレストランでランチをとりたい・・・・・・
昼食に立ち寄ったのは、中町商店街に程近いヒカリヤ・ヒガシ
古い商家をそのまま使った和風レストランです。


c0039428_2131737.jpg昼食なので箱膳を
いろいろなものがとりどりに盛り合わせられ楽しめます。


c0039428_21341047.jpg中屋商店街
工芸・民芸・アンティーク
いろいろなお店があって楽しいところ
でも、家中を整理している私としては、何も購入するわけにはいきませんでした。

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by small-small-world | 2009-05-23 21:38 | ★旅 | Comments(0)

初夏の蓼科

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学生時代の友人達と蓼科へ
若葉が輝くばかりに美しい高原
爽やかな天候で、はるかに八ヶ岳や甲斐駒ケ岳を望むことが出来ました。

c0039428_2175240.jpg東急蓼科リゾート内で3時間の自然観察会に参加しました。
なにげなく通り過ぎる林間の繁み。指導員の指差すほうに目を凝らすと小さな花々が密やかにそして精一杯に咲いています。

c0039428_21134887.jpgスミレだけでも10種類以上観察しました。ほんとうにいろいろなスミレの花があるのには驚かされました。
スミレと一口にいってもなんと172種ものスミレがあるのだそうですが、これは単に「スミレ」

c0039428_2117590.jpgこちらはサクラスミレ


ちょっと見た目には同じようにしか見えないスミレなのですが・・・・・。
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by small-small-world | 2009-05-23 21:21 | ★旅 | Comments(0)

Forty letters from Seattle

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家の中を整理していたら、忘れていた手紙の束を発見しました。
全部で40通
今から32年前(正確には1976年11月2日から1977年12月18日まで)
米国ワシントン州シアトルから両親に書き送った手紙です。

15年くらい前、家の中を整理していた母から「とっても面白い手紙だったから保存しておいたけれど、お返しするわね。」といわれて引き取ってきたのですが、そのままになっていました。
一通ごとに番号がふられ、両親が楽しみに私の便りを待っていてくれたことがしのばれます。

1ドルが300円だった時代
国際化は進んでいたとはいえ現在のように気軽に海外旅行をする感じではなかったと思います。
日本を出るとき、長女は1歳10ヶ月、長男はやっと生後6ヶ月になるところでした。4ヶ月前から暮らし始めていた連れ合いのもとに長男が6ヶ月になるのを待って合流したのでした。

初めて経験するアメリカでの生活、子ども達の成長の様子を両親に伝えようとせっせと手紙を書いたのでしょう。数通取り出して読んでみる鮮やかな記憶がよみがえります。

「1st」と番号がふられた絵葉書は1976年11月初めに兄妹に送られたもの。ワシントン大学の構内の絵柄です。c0039428_11182143.jpg
空港への見送りありがとうございました。
今日の午前中、両親は無事LAに向かいました。
さあ、これからアメリカでの私の生活が始まります。
シアトルは自然に包まれた静かな町です。
木々はみな紅葉の盛り。あらゆる黄色、あらゆる紅に染めわけられています。そして、その中でおとぎ話に出てくるような小ぎれいな街並みの中、平和な生活が営まれています。これから見聞するうちに、どんなふうに印象が変わるでしょう。
我がアパートは大学のすぐそば、集中暖房やひねればお湯の出てくるところは日本の高級マンション並みです。来春いらしてくださるのを楽しみにしています。

幼い子二人を連れ、オムツなどたくさんの荷物持参でアメリカに向かう私を心配して両親がシアトルまで送ってくれ、2日ほど滞在した後、二人でLAとNYを旅行して帰ったのでした。
戦前の教育を受けた両親は、英語の読み書きは堪能でしたが、聞く話すはまったくだめだったはず。
初めてのアメリカ旅行の思い出を聞いたことはそういえばありませんでしたが、どんな旅行だったのでしょう。
今では聞くすべもありませんが。
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by small-small-world | 2009-05-20 11:24 |    思い出の街角 | Comments(0)

デール夫人のクッキーズ

c0039428_10324254.jpg子どもたちのおやつはいつもではないけれど手作りを楽しんできました。

よく使っていた本のひとつは「デール夫人のクッキーズ」(1971年 婦人之友社発行、当時の値段は200円)
油汚れやシミがついていて、ページもばらばら
よく使い込んでいた本です。

しばらく行方不明になっていて、寂しかったのですが
昨年冷蔵庫を買い換えたときに、冷蔵庫の上の奥のほうに平に置いてあるのを発見しました。
見えない場所なので、見つからなかったのもあたりまえです。
c0039428_1033177.jpg著者のエロイス・デールアメリカカンサス州から来日された宣教師の奥様として、日本にそれまでに18年滞在された方ということ。

気取ったお菓子作りの本に出ているレシピとは一味違う素朴でしかもおいしいクッキーたちです。
子ども達のおやつに特別の材料を用意しなくても気軽に作れます。

c0039428_1033447.jpg本には全部で35種類のクッキーのレシピが載っています。
久しぶりにその中のいくつかを焼いてみました。

c0039428_10344212.jpgバニラ・クッキー
冷やして固め、薄く切って焼くクッキーです。
レシピにはないココナツパウダーを入れてみました。

c0039428_1801186.jpgオランダ風のクッキーアメリカ風にはJan Hagelという名前のようです。
クルミたっぷりのせて焼きます。

c0039428_1757225.jpgココナッツ ドリーム
大きく焼いてから切り分けるクッキーです。
クルミとココナッツがたっぷり入ったさっくりしたクッキーです。


小さな本をぼろぼろになるまで愛用した日が懐かしい・・・・
今でもクッキーやケーキを焼いていると家族達がその香りに引き寄せられるようにキッチンに寄って来ます。
いつまでたっても手作りのおやつは魅力的のようです。

この「デール夫人のクッキーズ」という本、今では絶版になっているようでした。



                    
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by small-small-world | 2009-05-09 10:38 | ★おいしいもの | Comments(2)

小学校の担任だったM田瑠璃子先生
年賀状だけは差し上げていたけれど、もう長いことお会いしていませんでした。
もう85歳になられるはず。

思い立ってお手紙を差し上げたところ、間髪いれずに電話をいただき、
じゃ、明日自由が丘でお会いしましょうということに。
さすがM田先生・・・・。
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前回お会いしたのは先生の還暦のお祝いなので、22年ぶりの再会でした。
どこのお店にしようかと迷ったのですが、この季節ですから薔薇の花でも
ながめながらお話しましょうと、St. Christophers Gardenにご案内しました。

昨晩久しぶりに卒業アルバムを取り出して、当時の写真と名簿を見たのですが、
一部の人しか思い出せませんでした。でもM先生とお話しているうちに、色々な
記憶がよみがえってきました。

それにしてもM先生の記憶の確かなこと
ご自分の卒業生だけでなく、他のクラスの子ども達のこともよく覚えていらっしゃるのにはほんとうに驚きました。

小雨ふる薔薇の庭を眺めながらのイングリッシュ・ティ
楽しいひとときでした。

M先生、いつまでもお元気で
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by small-small-world | 2009-05-08 17:04 | ★日々の楽しみ | Comments(0)

いつも通る横浜の日本大通り
銀杏並木が四季それぞれに美しく、海に向かって一直線に伸びる広い通りの雰囲気がとても好きです。

そこの道路にバラやチューリップの花びらで道一杯に花絵が描かれていると聞いて行ってみました。
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バラはインドから、チューリップは新潟から来ているそうです。
風が吹くとずれてしまうし、時間とともにしおれてくるので、いたるところで補修中。
花びらを補充したり、 糊の入った水を噴霧したり。

あたりにほんのりとバラの花びらの香りが漂っていました。

海岸通は横浜開港記念のパレードで、どこからこんなに集まったのかと思うほどの人出
人の波を振り切り、煉瓦倉庫の裏手からみなとみらい地区まで来るとやっと港らしい雰囲気
どこの帆船でしょう。帆船も停泊していました。
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水辺の海上保安庁の脇に「工作船展示館」という表示のある建物に入ってみました。
北朝鮮工作船の領海侵犯事件は平成13年12月のこと
銃痕の生々しい船体。
意外に小さな船には、より小さな上陸用の小船が仕込まれています。
13歳の横田めぐみさんは、こんな殺風景な船に乗せられ、日本海を連れ去られたのでしょうか。
叫べどもむなしい海の上、
どんなに辛かったか・・・・・。
ほんとうに心が痛みます。
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by small-small-world | 2009-05-03 21:26 | ☆散歩道 | Comments(0)

足利の藤と蔵の町栃木

c0039428_2120844.jpg有名な足利の藤を見に朝早く家を出ました。

両毛線富田駅から足利フルーツパークまでは徒歩15分くらい
JRや東武鉄道が臨時列車を繰り出しているのですからいつもは静かであろう道筋はぞろぞろと人の流れ。
まるで蟻の行列です。

足利フルーツパーク内には300本の藤が植えられています。
白藤からは、甘い香りも漂ってきます。

圧巻は何といっても樹齢140年の大藤の藤棚
500畳もの広さに広がっています。
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この公園はもとはといえば足利市内の花好きな大地主が自分の広大な屋敷の庭に色々な花木を育て、小作人に開放していたことに始まったとか。
手狭になったので、大藤を含む木々を移植して、現在のような公園になったのだそうです。四季折々楽しめるようにはなっていました。

足利フルーツパークから駅へ戻る途中にある栗田美術館に立ち寄ってみました。
伊万里焼きに関する本など見ていると栗田美術館蔵というのがよく出ているのですが、こんな不便なところにあったとは知りませんでした。

c0039428_22123925.jpg3万坪あるという広大な敷地

どこかの寺の門らしき入り口

どこかの大農家の建物を移築してきたらしき茶処

木々の間に配された石仏

どうして来歴が書いていないのでしょう。

c0039428_22132269.jpg山の上にある博物館本館は故栗田英男氏が蒐集した伊万里と鍋島のコレクション
でも、これだけのコレクションを蒐集し、広大な土地に博物館を建てた栗田英男氏という人が一体どういう方なのか、個人博物館なら博物館の由来が必ず説明されているはずなのに、どこにも説明されていないのでかえって興味がわきました。
帰宅してからネットで検索して調べたのですが・・・・・・・・。

今日は連休の初日。あわてて帰宅する必要もないので、両毛線栃木駅で途中下車しました。
数年前に1人で歩きに来たことがあるのですが、静かな町に蔵作りの商家が残されていて、その雰囲気の良さに驚いたものでした。
駅前からまさに発車しようとしていた市内循環バスの運転手さんにどこで降りたらよいか尋ねたら、運転しながら左は**、右は**、と大声で案内していただき、味噌田楽で有名な「油伝味噌」というお店の前で下車することを勧められました。
c0039428_22343568.jpg例幣使街道に面した指定文化財にも指定されている古い味噌やさんの中にレトロムードの茶店があります。

c0039428_22415595.jpg何を頼もうか迷っていたら、地元の人に勧められたのが**もち
「五平もちとおんなじだけど、これは、それこそ天皇陛下が召し上がるような五平餅。とにかくお味噌がおいしいんだから・・・」
というわけで、**もちとこんにゃく田楽を注文しました。
たしかにお味噌がとってもおいしかったです。

今回は二度目の栃木街歩きだったので、急ぎ足で。
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c0039428_23124464.jpg幸来橋のところまでやってきたら、
「最終の船がでま~す」という声
巴波川を船頭さんの漕ぐ船で15分間の遊覧ということなので、乗ってみました。
地元のボランティアの方々で運営されている体験搭乗

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巴波川にはミニ鯉のぼり
ちょっといい雰囲気です。

帰路は、東武の特急で。
ゆったり座席ですいすい帰って来ました。

安近短の連休日帰り小旅行でした。
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by small-small-world | 2009-05-02 23:13 | ☆散歩道 | Comments(0)