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チェスキークルムロフ(1)~チェコ&ドレスデン(10)

フルボカー城からチェスケー・ブディエヨヴィツエまで戻り、
バスステーションのあるショッピングモールで小休止。
(カフェの物価の安さにびっくり)

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そこからチェスキークルムロフまでは30分バスで30分ほど。

バス停から少し上ると観光写真でおなじみのチェスキークルムロフの街が見えてきました。

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チェスキークルムロフは蛇行するヴルタヴァ川に囲まれた巾着のような土地1253年頃に開かれた町
1302年からロゼンベルグ家がこの街を支配するようになり、川岸の丘に城を築き、街を発展させました。
領主はロゼンブルグ家、エッゲンブルグ家と引き継がれ、1719年からはドイツ南部の有力貴族シュヴァルツエンベルグ家がこの一帯を支配することになりました。
その間城はゴシック様式からルネサンス様式へさらにはバロック様式へと改装されていきました。

領主のシュヴァルツエンベルグ家はフルボカー城に居住していたのですが、街は城下町として栄えました。
1910年当時の住人の85%はドイツ系。チェコ人は隷属的立場に置かれていました。

1939年シュヴァルツエンベルグ家が国外に逃れ、第二次大戦後ドイツ系住民が国外に追放処分を受けた後、チェスキークルムロフは荒廃し、街はロマ人たちが住みつくようになりました。

ビロード革命後、1992年街は世界遺産に認定され、街は修復され、ホテルや土産物店が立ち並ぶ観光都市になっていったということでした。
1970年当時チェスキークルムロフを観光で訪れるという話を聞かなかったのはそういうわけだったのですね。

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夕方散歩にでました。

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夕食は ホテルの隣にあるクルチュマ・フ・シャトラフスケーというレストランで。
居酒屋風の店内にレンガ作りの炉があり、マスターが汗を拭きながら、肉をグリルしてくれるという野趣あふれる店でした。
おもしろいお店でしたが、狭い店内は客は賑やかな中国人客が多く、そこはやや興ざめでした。

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# by small-small-world | 2018-08-16 21:53 | チェコ&ドレスデン 2018 | Comments(0)

フルボカー城~チェコ&ドレスデン2018(9)

さてチェコ3日目
南西部のチェスキー・クルムロフ方面に1泊ででかけます。

出発前に予約したチェスキー・クルムロフ行きのStudent Agencyのバスは満員でした。

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チェスケー・ブディエヨヴィツエで途中下車し、フルボカー城方面行のバスに乗り換えて、約30分。
緑豊かな小集落で下車。

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急な坂道を上っていくと丘の上にお城が見えてきます。
その昔は馬車でのぼった道でしょうか。

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丘の上には広々した庭園
そしてよく手入れされた白亜のお城

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ガイドツアーに参加しないと内部を見学できないので、1時間ほどのんびりと時間をつぶしました。

城を所有し、第二次世界大戦までこの城に居住したのはチェコの有力な貴族シュヴァルツエンベルグ家
チェスキークルムロフもシュヴァルツエンベルグ家の領地ですが、
同家はフルボカー城をネオゴシック様式に改装し、この城に居住したそうです。
森に囲まれたこの地が気に入ったのでしょうか。

城の内部は撮影禁止でしたが、それはもちろん美しいものでした。

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シュヴァルツエンベルグ家は1939年ドイツのチェコスロバキア併合に反対し、国外に脱出しました。
大戦後シュヴァルツェンベルク家は所領の返還を求めましたが、
1947年チェコ政府はにシュヴァルツェンベルク家の所領を没収する法律を制定し、
シュヴァルツェンベルク家は所領のすべてを失ってしましました。
シュヴァルツェンベルク家が去った後、城は国家の管理下に置かれたそうです。

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城内の図書室には重厚な古典類に混じって、アガサクリスティーの小説もあるとガイド氏。
城内では脱出まで普通の生活が送られてきたのだと実感しました。






# by small-small-world | 2018-08-12 16:04 | チェコ&ドレスデン 2018 | Comments(0)

プラハで誕生日~チェコ&ドレスデン2018(8)

プラハ滞在中に**才の誕生日を迎えました。

NHKの「二度目のプラハ」という番組で紹介されていた「Next Door」という店に行ってみました。

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ザリガニのスープ
濃厚でおいしかったです

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それぞれこんなものをいただきました。

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付け合わせの白いのクネドリーキ。蒸しパンのようなもの。


# by small-small-world | 2018-08-11 22:15 | Comments(0)

クトナーホラ(2)~チェコ&ドレスデン2018(7)

クトナーホラのセドレツ地区からクトナーホラ旧市街まではバスがあるようなのですが、
頼りないバス停があるだけなので、歩いて向かうことにしました。

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人通りのない道を1時間
チェコの普通の市民の暮らしを感じながら歩いていくと、やがて旧市街にたどり着きました。

街の中心のパラツキー広場
鉱山の街ということで、荒々しい雰囲気かと思っていましたが、明るい色合いの建物が並んでいます。

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一角にあるレストランで食事
暑い中を歩いてきたので、ここでもまずビールです。

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まずイタリアン・コートを訪れました。
観光客など一人もいませんでしたが、ガイドツアーに参加すれば内部を見学できるというので申し込んでみました。

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ガイドは鍵の束を持った青年。
一部屋ずつ鍵を開けては案内してくれました。

イタリアンコートは1300年に創設された王立の造幣局
この建物内で貨幣を鋳造していました。

ガイドの青年が貨幣の鋳造を実演してくれました。

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2階部分は宮殿になっています。
歴代の国王が滞在することがあったそうです。
今では結婚式の会場として使われているそうです。

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最奥には小さいけれどとてもきれいな国王用のチャペルがありました。(写真不可でした)

別れ際にガイドの青年が

「ガイドを聞いてくれてありがとう。ところであなたたちが日本から来たのなら質問があるのだけど・・・
日本の人はどうして大きくて立派なカメラを持っているの?」

質問の意図はわからなかったのですが、大きなカメラをみんなが持っている訳ではないし、
大きなカメラを持っている人はカメラが趣味かプロだと思うと答えました。

中世に銀山として栄えたクトナーホラ
ドイツ系の技術者や鉱夫によって採掘され、坑道は深いところでは地下500メートルもあったそうです。

イタリアンコートの裏手、斜面の葡萄畑の向こうに奇妙な尖塔の大きな聖堂が見えてきました。
1380年に着工された世界遺産の聖バルバラ教会です。
聖バルバラは鉱山の守護神だそうです。

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教会に向かう坂道 景色のよい道です。
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教会は当時の市民たちの募金で建立されたそうで、教会の天井には寄付した市民たちの紋章が描かれています。
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堂内のフレスコ画には採掘作業を描いたものもありました。
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鉱夫の像腰には動物の毛皮細い坑道を滑るように進んでいったのだそうです。
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クトナーホラ ムニュスト駅までひたすら坂をくだって。ピンク色のかわいい駅舎kara4おもちゃのようなかわいい電車でクトナーホラ駅に向かいます。
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# by small-small-world | 2018-08-11 21:40 | チェコ&ドレスデン 2018 | Comments(0)

クトナーホラ(1)~チェコ&ドレスデン2018

中世のボヘミアの繁栄を支えたのはプラハの南東にあるクトナーホラ(ホラは山という意味)という銀山でした。
13世紀にはクトナーホラで産出される銀は全ヨーロッパで産出される銀の3分の1を占めていたそうです。

クトナーホラの銀で鋳造される銀貨はボヘミア国王の重要な財源となり、その財源でプラハの街も築かれていたともいえます。
しかし、16世紀半ばには銀は枯渇し、貨幣の鋳造も中止され、プラハに次ぐ第二の都市クトナーホラは衰退してしまいました。

1995年に聖バルボラ教会とセドレツの聖母マリア大聖堂が世界遺産として認定されています。

プラハ中央駅からクトナーホラまでは直通もあるらしいのですが、私たちの乗った列車は2度乗り換えて(3本目の列車はなんと3階建てでした)クトナーホラ駅に着きました。
小さな駅ですが、案内所があり、そこで地図と情報(日本語のパンフレットがありました)を入手して歩き始めました。

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セドレツ地区までは歩いて15分ほど

世界遺産になっている聖母マリア大聖堂
もとは12世紀に建てられたシトー派の修道院だったそうですが、フス派の戦いで焼失し、17世紀末に再建されたもの。
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外見はシンプルですが、内部は大変明るく愛らしい雰囲気です。
座席の脇はきれいな花の彫刻で飾られています。

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祭壇の両脇のガラスケースの中に小柄な男性が横たわっています。
大昔の聖人の遺骨に蝋細工の頭部をつけて祀ってあるものとのこと
信者でない私にとっては、申し訳ありませんが薄気味悪いものでしかありません。
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聖母マリア大聖堂から5分ほどの小ぶりな聖堂は墓地教会
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この聖堂の地下に降りたとたん、すーっと冷たいものが走り抜けました。
薄暗い空間に大きなシャンデリアがつるされ、アーチは整然と装飾されているのですが、
それらはなんと頭蓋骨や骨盤の骨
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左右には高さ3メートルを超える頭蓋骨の山
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恐ろしくて直視することもできず、写真だけ撮って早々に退出しましたが、
あとで写真を見て改めて恐ろしくなりました。

13世紀中ごろセドレツの修道院長がエルサレムのゴルゴダの丘の土を一握り持ち帰り、
それをこの地に撒いたことからこの地が聖地となり、この地に埋葬される人が続出。
さらにペストで死亡した人やフス派の乱で亡くなった人の遺骨など、
4万人ほどの遺骨がこの地に弔われ、積み重ねられたたそうです。

1,870年になり、領主のシュヴァルツンヴェルクの命で木彫家が現在のような
骨を使用した装飾を組み立てたのだそうです。
頭蓋骨を一つずつ洗い、組み立てていく作業を木彫家がどんな思いでしたのか
想像することは難しいことです。







# by small-small-world | 2018-08-11 14:25 | チェコ&ドレスデン 2018 | Comments(0)

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